書評:
第1次世界大戦と、第2次世界大戦の大きな違いは、砲兵、機関銃、塹壕線をベー スとした陣地戦から、戦車と航空機をベースにした機動戦への転換でしょう。 これに際し、ハードウェアの開発のみでなく、組織と戦略、戦術の転換も重要 でした。実際、1940 年の西部戦線ではハードウェアでは連合軍側の方が有利 だったのですから。 第1次世界大戦後に戦車と航空機をベースにした機動戦の理論を提唱したグルー プの中で、リデルハートは重要な一人です(他にフラーとかいますが)。 新しいハードウェアを生かすためにはそれに見合った組織と戦略、戦術の開発 が大事ということを、歴史を元に議論を進めたわけです。
戦略面では、(相手から予想されるような)正面攻撃を避け、奇襲、陽動、意 図的退却などで敵を混乱して弱点を作らせて行く間接的アプローチ、柔軟防御 の重要性を説いています。 もちろん、実験・演習を通して理論を現実のものとするする過程がいるわけで すが、結局それが強力に進められたのは、(第1次世界大戦の敗北により)旧来の 軍組織が解体されたドイツであった。
構成としては序章で、戦略論を研究するものは歴史を重要な素材とすべし、又 目的達成のため、正面攻撃を避けむしろ間接的アプローチをするべしとしてお り、最終章で、戦略、戦術面における間接的アプローチの具体的指針をまとめ ている。 その間の章は歴史的分析であるが、一貫して説かれているのは、「優れたリー ダーは敵のバランスを崩して不利な態勢で戦闘に導入するよう、最大の努力を 払う。そのため、機動、地形の利用、敵の補給路及び指揮システムに対する脅威 などをおこなうが、目的を達成するには必ずしも戦闘は必要ではない。また、状 況の変化に対応する予備計画を持つこと(柔軟性)が大事である。」ということ である。間接的アプローチのアイディアに大きく寄与したのは、東ローマ帝国の ペリサリウスと、南北戦争のシャーマンの戦史のようです。彼らは、ナポレオン などと違い、常に兵力の経済的運用を心がけなくてはならなかったためでしょう。 なお、翻訳は読みにくい。また、適切な地図、歴史に関する注などあれば、もっ と読みやすくなったであろう。
書評:
18世紀から第1次大戦までの軍事思想史の流れを追っている。 戦略・戦術を戦闘手段の運用とすると、他に戦闘手段の建設・改良、用兵の教 義(ドクトリン)の確立といった側面も重要であり、本書では後者に重点をおいている。 ナポレオン戦争が当時の「電撃戦」となったのは、もちろん彼の天才に負うと ころが大きいが、軍隊の組織方法として18世紀後半に師団の採用とその運用方 針が開発されたところにもよる。
18世紀の軍事思想に大きな影響を与えた人物として、サックス、ブールセ、ギ ベールが上げられている。サックスは、柔軟性のある陣形(レギオン、後の師 団の原型)、突撃前の(ライフルによる)軽歩兵・機動砲兵による支援、(要 塞に対する)野戦築城を提唱した。又戦闘以前に柔軟性と機動力のある部隊と 流動的作戦により、敵の計画と部隊を混乱に導くことを提唱した。 ブールセは、オーストリア継承戦争でのフランスーイタリア国境付近での作戦 運用での参謀であったが、道路が容易に遮断される山地戦の課題に直面して、 複数の経路から侵入する分進合撃を開発した。これは一見集中の原則に反する ようであるが、敵をして分散に導き、敵に近接するや分離した相手を包囲・各 個撃破できる。また、各部隊の相互支援と機動力があれば、各部隊の安全が保 たれる。彼はアルプスにおいて状況に応じ各師団を分散・集中させる「分離兵 団の協力方式」を開発したのであるが、これが平地にも適応可能であることを 認識していた。 ギベールはその著書(戦術概論 "Essai general de tactique")を通じて広範 囲に影響を与えた。また、後に軍制改革に協力した。彼の提唱したものとして は、訓練法の簡素化、機動力の向上(分速 60 歩から 120歩へ)、扱いやすい 陣形(白兵戦時代の密集隊形から離別)、機動野砲隊、補給法の改善(現地調 達を含む)、師団の恒久化といったものである。これらは相互に関連しており、 現地調達のため師団が広範囲に分散していたが、分散の危険性は機動性の向上 と火力の改良、師団の柔軟性(方向転換と、行軍から戦闘隊形への転換の容易 さ)により従来より大幅に減っていた。また、補給の効率化は戦略的機動力の 向上をもたらした。これは敵にとって変幻自在の相手となり、後のナポレオン 戦法の土台となった。
ナポレオン本人は、 「将軍ボナパルトは彼の帝国を創設するにたる理論を適用したのに対し、皇帝 ナポレオンは彼の帝国を破滅に導くような手椀を発揮してしまった」。 将軍時代は奇襲や機動力を活用していったが、皇帝になり、特に 1806 年のイエナ会戦以降は兵力の経済的運用を忘れ、直接的戦闘と数の優勢 のみに頼るようになり、国力を消耗してしまった。 まずいことに、後世の戦史家(ジョミニ、クラウゼビッツ)はナポレオンの後 期の戦略に注目したため、大量集中戦法に大きく偏ってしまった。これに加え、 鉄道という大量ではあるが柔軟性を欠く輸送手段、機関銃の発達に対する認識 不足が第1次世界大戦の停滞と惨禍を招いた。 なお、クラウゼビッツについては良く読めば大量集中戦法一本槍ではないが、 表現が難解であったため、後世の軍人たちに誤解を与えたとハートは評している。
書評:
第2次世界大戦を戦略のみならず、経済、外交といった大戦略の面からも分析し た本。
戦略面では、第2次世界大戦に関し多くの本が出版されているが、リデル・ハー トは歴史家らしく、連合軍・枢軸軍双方からの資料により分析している。また、 公式文書だけでなく、連合軍・枢軸軍からのインタービューも折混ぜているので、 作戦決定に至るまでの意思決定過程をたどることが出来る。
しかし、この本が他に比べ優れている点は、経済、外交を含めた大戦略の観点か らの分析であろう。例えば、ドイツが補給の面から見て絶望的なソ連侵略に乗り 出した背景の一つには、ルーマニアの石油資源の安全確保と、カフカスの石油資 源入手があった。ドイツへの戦略爆撃は都市に対するものよりも、精油、電力、 製油、交通施設への精密爆撃の方が戦争遂行能力に与えたダメージは大きかった。 外交面では、第2次世界大戦の最終段階で連合国側が無条件降 伏にこだわらず、(戦前の国境まで戻す程度の)条件降伏を提示していれば、も う数ヶ月早く戦争が終結していたのではないかという意見には、今後とも参考に なるであろう。というのは人命、資源の節約になるだけでなく、戦後の見通しが (敗戦国の力の真空を避けることで)より安定したものになったかも知れないか らである。
太平洋方面についての記述は、著者がイギリス人であるためか、やや物足りない 面もあるが、逆に太平洋戦争を非当事者が論評したものとして大きな価値がある。
地図、付録の資料が豊富。