日本物理学の祖の墓
日本物理学の祖といわれる青地 林宗(1775-1833)の墓の写真です。松山市来迎寺のロシア人墓地の近くにあります。
青地 林宗は、オランダの科学者ヨハネス・ボイス(Johannes Buys
1764-1838)の著書 'Natuurkundig schoolboek" を中心に訳述し、日本最初の物理学書といわれる「気海観瀾」(1827)を出版しました(その前の「格物綜凡」との関係が良くわからな
い)。翻訳にあたり、物理学用語選定のための同志会を作り、その多くが現在でも使われているそうです。
彼の娘婿の川本 幸民(1810-1871)は「気海観瀾」を拡充して「気海観瀾廣義」(1851-1856(1858?)、15巻、量的には「気海観瀾」の7倍)を書きましたが、これはその後
広く教科書としても用いられ、西洋の近代科学の普及に大きな役割を果たしたそうです。
1. 墓 (画像クリックで拡大、以下同様)
2. 説明文
3. 頌徳碑